こんにちは、やっさんです。
先日、初めて富士登山に行きました。
一緒に夜ご飯を食べる約束をしていた幼なじみが、
「今日都合悪くなって行けなくなっちゃった。
代わりに富士登山に参加しない?」
という、わけのわからない代案に
うっかり乗ってしまったのがキッカケです。
モノづくりで有名な東海地区には、伝統技術から最新技術まで多くの技が存在します。そういった技の誕生秘話・歴史など盛りだくさんで紹介し、東海地区の背景をモノづくりの観点から浮き彫りにしていきます。
こんにちは、やっさんです。
先日、初めて富士登山に行きました。
一緒に夜ご飯を食べる約束をしていた幼なじみが、
「今日都合悪くなって行けなくなっちゃった。
代わりに富士登山に参加しない?」
という、わけのわからない代案に
うっかり乗ってしまったのがキッカケです。
こんにちは 伊藤です。
前回に引き続いて名古屋のパチンコの話です。
名古屋パチンコ産業の父、正村竹一さんは、それまでのパチンコ台は盤面いっぱいに等間隔で釘が打たれていたものを、釘を独特の配列にすることによって、球が変化のある動きをするような考案をしました。天釘・命釘・ハカマなどもこのときの工夫によって生まれたものです。これが今日のパチンコの基礎となっている正村ゲージです。
正村ゲージのパチンコは爆発的に売れたので、他の業者もその真似をして台を造ったそうです。模倣台は正村台を買ってきて釘を全部抜き釘穴を写し取ったベースをつくり、そのベースを下敷きにして釘穴の位置に釘を打って作ったそうです。しかしその模倣台は評判が悪くあまり売れなかったのです。
それにはこんな秘密があったのです。
正村ゲージには釘の配列以外に釘を打つ角度まで気を使っていたのです。
正村竹一はガラス商を営む前は大工だったので、釘を目に分からない程度に盤面に対して前後左右に斜めに打つことで玉の流れと跳ねを作り出していたのです。
模倣台は盤面に垂直に釘を打っていたので「正村ゲージ」のような、玉の動きを出せなかったのです。
こうして正村ゲージは模倣されても、人気が落ちることがなく、パチンコ台の標準仕様となったのです。
ものづくりに情熱をかける名古屋人の気質と技のお話でした
こんにちは 伊藤です。
前回に引き続いて名古屋のパチンコの話です。
今回はパチンコ産業を育てた藤井文一さんの話です。
日本のパチンコ発祥の地は名古屋といわれています。それは、正村ゲージというパチンコ台の規格が名古屋で誕生したからです。それ以前のパチンコはスマートボールみたいなゲームでした。コインを入れると盤面内に玉が出てくる仕組みでした。
ところが昭和12年に、名古屋の藤井文一という人が鋼球式という方法を考案しました。これはメダルではなく球を入れる方式でした。
藤井文一はこの新製品を造るために、ベニヤ板や盤面のガラスなどの材料をさがし、ガラス商のとこへ行きました。
そのガラス屋にいたのが、近代パチンコ生みの親、正村竹一でした。
藤井文一と出会い、正村竹一もパチンコ屋を開業しました。しかし第2次大戦のため、パチンコ産業も壊滅しました。そのとき奇跡的に焼け残った正村竹一の店がパチンコを大流行させました。
やがてパチンコ台が足りなくなったので正村竹一も自分で製造に乗り出したのでした。
こうしてパチンコ産業の今日の発展が始まったのです。
ゴールデンウィークいかがお過ごしですか?
水越です。
先日、トヨタ自動車が今年1~3月の世界全体の累計販売台数は、ダイハツ工業と日野自動車を含めたグループ全体で、
前年同期比9・2%増の234万8000台と過去最高を更新し、GMの226万台を抜いたとの報道があった。
こんにちは、沼田です。
先日、ついに「バイオガソリン」が首都圏50ヶ所で販売スタートしましたね。
一見、環境に優しく、お客様の声も好意的で良いイメージですが、これに伴い新たな問題も発生しているようです・・・
はじめまして、
伊藤です。
今日は、名古屋のパチンコの話です。
パチンコは大正時代に日本に上陸しました。そんなパチンコが現在のような人気を得たのは第2次世界大戦終後で、名古屋でパチンコ台の生産が再開されてからでした。
その理由は、
①軍需工場で生産していたボールベアリングをパチンコ玉に利用できたこと。
②パチンコ台生産に不可欠なベニヤ板の生産が盛んだったこと。
③「正村竹一」がいたこと。
正村竹一は、パチンコの玉がぶつかる釘の配列(ゲージ)を、それまでの均等な釘の配置から工夫を凝らして玉がはねまわるようにしました。こうしてできた「正村ゲージ」が爆発的な人気を呼び、パチンコ産業は急成長したのです。
従来のゲージは、釘を等間隔にびっしりと打ち込んでありました。
「正村ゲージ」は八字形に釘を打ちこみ釘の並びに変化をつけ、天釘や風車など従来型にはない玉の動きでパチンカーを魅了したのです。
そうして正村の機械は大ヒットし、名古屋から全国へ広まっていきました。
工場も第8工場まで増設し、従業員を約700人も抱えるまで成長しました。
しかし、「正村竹一」がパチンコの神様と呼ばれる理由は、「正村ゲージ」の正村竹一はゲージ構成を特許申請せず、他業者が無償模倣するのを黙認したことにあります。
「みんなで使えばええ」
現代のパチンコ産業の発展はここから始まりました。
名古屋のものづくりにかける情熱。名古屋の経営者の度量の大きさの話でした。
またまた広安がお届けします。
今日の御題は、今とても旬な松坂屋についてです。
こんにちは、水越です。
気温も下がりホットコーヒーがおいしい季節になってきました。
街で見かける自動販売機もかなりホット飲料に切り替わっていますが、その昔自動販売機といえば冷たい飲み物しかなかったのをご存知ですか。
こんにちは、水越です。
今回は私の趣味でもありますギターについてです。
ギターメーカーといえばGibson、FENDER、Martinなどが世界的にも有名ですが、実はこの東海地区にも前述のメーカーに引けを取らない世界中のトップミュージシャンに愛されているギターメーカーが存在します。
編集局長の臼井です。
皆様は新聞は何を読まれてますでしょうか?ビジネスマンは日本経済新聞でしょうか?一般家庭ですと全国的には朝日新聞、読売新聞、毎日新聞などが一般的でしょうか?
しかしここ東海地区ではそんないわゆる全国紙より知名度が高く、発行部数も東海地方では、全国紙より多いと言われている新聞紙があります。
その名も中日新聞です。